ベンジャミン・ライヒ
1978年生まれチロル州アルツル出身。1996年にアルペンスキー・ワールドカップデビューを果たす。2005年に行われた世界選手権ボルミオ大会では、回転と複合で金メダル、大回転で銀メダル、スーパー大回転で銅メダルと、出場全種目でメダルを獲得。2006年のトリノオリンピックでは、回転と大回転で金メダルを獲得した。2016年に引退を宣言。オリンピック2冠達成、FISワールドカップ通算36勝という快挙を成し遂げたアルペンスキー界のスーパースター。

斉藤人之(以下斉藤):「向上」をテーマにお聞きします。まずは、たくさんの感動をありがとうございました。たくさんの研究材料にもさせていただきましたし、僕らのモチベーションでもありました。なぜ自分がトッププレーヤーになれたと思いますか?
ベンジャミン・ライヒ(以下ライヒ):これを全部語ると1時間以上かかるんだけど・・・素質があること。あと、選手にとっての周りの環境。例えば親であったりとか、コーチであったりとか、スキー場との関係とかが、自分を支えてくれた一番の要因かなと思います。それと私を支えてくれたのは用具。それに付随したサービスも大きいし、要望に応えてくれた会社もすごく大きな要因だと思いますね。あとは情熱ですね。
斉藤:ワールドカップで優勝できるって感じ始めたのは何歳頃?
ライヒ:10歳の頃。1988年のカルバリーぐらいかな。そこで目標セッティングっていうか、オリンピックのチャンピオンになりたいっていうことをカルガリーオリンピックを見て初めて思った。
斉藤:アスリート人生の中で、一番感動したレースっていつですか?
ライヒ:これも語りきれないくらいあるんだけど、32勝してる中で、やっぱりトリノオリンピックで最初にGSで優勝したこと。これがもう忘れられないです。
斉藤:トレーニングについてお聞きます。波があると思うんですけども、その中で、調子の悪い時もレースをこなしていかなきゃならないと思います。その辺の調整はどういう風にしてきたんですか?
ライヒ:やっぱり調子悪い時あるし気乗りしないこともあるけど、勝ったとしても負けたとしても常に次のレースの事を頭に入れて準備をしている。
斉藤:練習の量を多くとる、少なくするっていうのは何で変えていきますか?雪上トレーニングも含めて。
ライヒ:それはトレーニングに特化してくると、ここは休まなきゃいけない時っていうところを常に目標を基準に置いといて、常に自分のモチベーションを高めながら、バランスをキープしながらやっていく。
斉藤:追い込むときってどういう時?
ライヒ:いつも一番課題に置いているのは、最初の一本目に集中してトレーニングをすること。
斉藤:ワールドカップを離れたシーズンを見ていたんですけど、その1シーズンどんな思いでしたか?アスリートを離れて。
2016年引退を宣言。その胸中とは?
ライヒ:やめるきっかけになったのは、自分のモチベーションもそうだけど、レースに対しての限界ギリギリのところまできていた。目の視力というか、レースの視力が低下してきたりとか。そして一回去年休んだけど、けっこう安心して。滑らなくて良かったね、レースに出てなくてよかったねっていう感じで。
斉藤:スーパースターでも人間らしいですね。最後に、子供の頃、高校生になるぐらいまでの頃に、スキーヤーとして成功したかったらどういう過ごし方をすればいいのかっていうのを教えていただきたいです。
ライヒ:目標を自分で決めること。一つのことじゃなくて、いろんなことにチャレンジして、いろんな環境でトレーニングしながら、16歳までの期間を過ごしていったら良いと思います。コーチと共に。
ヴェンジャミン・ライヒさん、貴重なお話本当にありがとうございました! 次回も素敵なゲストとの対談を予定しております。
お楽しみに!